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秩父夜祭

秩父夜祭とは

秩父夜祭は、京都祇園祭、飛騨高山祭とともに日本三大曳山祭のひとつとして知られ、300年以上の歴史を持つ秩父を代表するお祭りです。

「秩父夜祭」(ちちぶよまつり)として知られる秩父神社の例大祭は、長き歴史を持つ神社神事に豪華絢爛な笠鉾・屋台の曳き廻しや、豪壮な秩父屋台囃子、夜空を彩る花火、屋台芝居に曳き踊りなどが加わり、今も昔も、多くの人々を魅了し続けています。

この祭りは江戸時代中期、秩父神社周辺に立った絹織物の市、「絹大市」(きぬのたかまち)の経済的な発展と共に盛大に行われるようになり、付け祭り(神社神事に付随する民間行事。神賑:かみにぎわいともいう。)としての屋台行事の始まりは、寛文年間(1661~73年)とも享保年間(1716~36年)とも伝わっています。幕府による華美な屋台行事の禁止令が出された時代や、度重なる戦禍、社会情勢の変化の波を乗り越えながら、日本を代表する祭りとして現代に伝わっています。

冬の夜空を染める花火と、提灯やぼんぼりの灯りが揺れる笠鉾・屋台の極彩色の共演こそが秩父夜祭の醍醐味といえるでしょう。「秩父祭の屋台行事と神楽」は国重要無形民俗文化財に指定され、全国の「山・鉾・屋台行事」33件のうちの1つとしてユネスコ無形文化遺産にも登録されています。

笠鉾と屋台

勇壮な秩父屋台囃子を打ち鳴らし、初冬の街中を曳き廻される山車は、笠鉾(かさぼこ)2基と屋台4基。『動く陽明門』と言われるほど豪華絢爛で、昭和37年には国の重要有形民俗文化財に指定されました。

「笠鉾」は中近(なかちか)と下郷(したごう)の2基で、神霊の依代としての要素を供えており、その構造は土台の中央から長い真柱を立て、3層の笠を立てます。緋羅紗の水引幕を吊り、造り花を放射状に垂らしています。しかし、笠鉾の巡行路上に明治44年には電話線が、大正3年には電線が架設されたため、笠鉾本来の姿での曳行はできなくなり、秩父夜祭当日には屋形姿で曳いています。

「屋台」は宮地(みやじ)・上町(かみまち)・中町(なかまち)・本町(もとまち)の4基で、当番形式で屋台歌舞伎を上演します。その際に屋台本体の左右に張出舞台という付け舞台を加え、間口を広げ、芸座・仮芸座や花道などが設けられます。

  • 中近笠鉾

    中近笠鉾

    総体黒漆で、随所に金具を打ち、鬼板、懸魚(げぎょ)、妻飾りなど極彩色の彫刻を飾った宮殿風な構え。勾欄(こうらん)の丸彫金箔押の龍や内室の二十四考の彫刻は見どころ。

  • 下郷笠鉾

    下郷笠鉾

    6基の笠鉾・屋台の中で最も大きく、重量もある。白木で仕上げられた本体に金の飾り金具が神々しさをかもす。通常は中近笠鉾とともに笠をはずして曳き廻される。

  • 宮地屋台

    宮地屋台

    秩父屋台のうち最も古く、端正な姿をとどめている。後幕は、想像上の霊獣。猩猩(しょうじょう)。水引幕は飛鶴の刺繍である。

  • 上町屋台

    上町屋台

    屋根の4台の屋台の中で最も大きい。軒の出も多く華麗な屋台である。牡丹に唐獅子の水引幕、鯉の滝昇りの後幕の刺繍も見事。

  • 中町屋台

    中町屋台

    屋台の前後を飾る鬼板は、4台の屋台の中で最も大きい。その彫刻は、店の岩戸開きやスサノヲノミコトの大蛇退治など日本神話を題材にしている。

  • 本町屋台

    本町屋台

    彫刻や装飾など金箔押しの上に彩色をする贅を尽くした造りとなっている。後幕は玩具を積んだ宝船の刺繍が施され、中央のダルマが特徴的である。

花火

豪華絢爛な屋台と笠鉾に勝るとも劣らない、花火は夜祭に文字通り花を添えます。
芝桜で有名な羊山(ひつじやま)から打ち上げられる尺玉やスターマインは見応え充分です。

花火というと夏の風物詩というイメージを持たれるかもしれませんが、秩父では冬の夜祭が本番!天候の安定している、冬の澄んだ空気のなかで、より鮮明で、ダイナミックに上がる花火を、秩父っ子達は自慢にしてきました。ちなみにスターマインとは、連続発射の花火です。

屋台芝居

屋台芝居(屋台歌舞伎)の当番町は桜が咲くころから本格的準備に入ります。演目の決定、配役の選出、せりふの稽古と下準備から数えると、1年以上かかります。

歌舞伎が盛んであったころは、各町内が競い合って自慢の演目を上演し、観客も一幕終わるたびに、各町の屋台を行ったり来たりという光景が見られたと伝わっています。

屋台の両側に張出舞台を付けて、芸座を組み立てて上演する独特の様式は全国でも珍しく、舞台の準備から撤収までの手際の良さは一見の価値があります。

亀の子石とお諏訪様

  • 亀の子石
    亀の子石
  • 亀の子石
    亀の子石(斎場)
  • 武甲山
    武甲山と御旅所

秩父神社のご祭神である妙見様(女神)と武甲山に鎮まる龍神様(男神様)との年に一度の逢瀬の祭りとして語られる秩父夜祭は、さながら“冬版七夕伝説”とも呼べるものです。

6基の笠鉾・屋台に先立って御神幸行列が御旅所に到着すると、鎮座する「亀の子石」の背中に大幣束が立てられ、神輿が安置されます。

不思議なことに、秩父神社・亀の子石・武甲山(聖地である大蛇窪)は地図上では一直線上に並んでおり、その北の延長線上に北極星が位置する特殊な配置になっています。

現在、祭りの行列は本町通りを通って御旅所へ向かいますが、昭和50年までは秩父神社の表参道にあたる番場通りを渡御していました。

番場町内に鎮座する「お諏訪様」(諏訪神社)近くを通る際には、そのご祭神に敬意を表し、各笠鉾、屋台のお囃子を止めて静かに進む慣例が、順路が変わった今でも行われています。

これは秩父神社に妙見様がお祀りされる以前から、秩父地方に根づく諏訪信仰に由来するもので、この地方の地主神と考えられるお諏訪様にちなんだ行事であると思われます。

諏訪神社
諏訪神社

諏訪神社のご本社である諏訪大社は信濃の国の一宮であり、御柱祭りを行うことで有名な神社です。

秩父地方では、水神様の信仰と結びついて秩父盆地の各所にお祀りされ、村の鎮守とされているものが少なくありません。

毎年、夜祭りの前夜にあたる12月2日の晩、諏訪神社で秩父神社および各町会関係者の参列による「お諏訪渡り」という神事を行うことも、最初に土地の神様の祭礼を行ってからご本社のお祭りが始まるという最も伝統的な祭りの形であり、秩父地方ではこれを男女の関係にたとえて、諏訪信仰の伝統を今に伝えているのです。

今年の秩父夜祭について

秩父市公式観光ホームページ「秩父観光なび」において今年の秩父夜祭の情報を公開していますのでご確認ください。

秩父観光なび「秩父夜祭」ページ

 

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